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第二級陸上無線技術士合格記 |
始まり | 平成17年、ようやく第二級陸上無線技術士に合格しました。 今頃?と言われそうですが今頃です。 そもそも、昭和54年に電話級アマチュア無線技士(現第四級アマチュア無線技士)の資格を取ったのが受験の始まりでした。 その後電信級の受験と挑みますが全く合格せず、専門学校在学中に特殊無線技士(無線電話甲(現第二級陸上特殊及び第二級海上特殊無線技士))と多重無線設備(現第一級陸上特殊無線技士)を取得、卒業間際の昭和59年に電信級アマチュア無線技士(現第三級アマチュア無線技士)を取得しました。 |
発展 | 就職後の研修時代に同室の人から折角なら上を目指さないとと言われ、当時は電信以外の操作では3通と同等の操作範囲ということで研修中に電話級無線通信士(現第四級海上無線通信士ですが昔のまま陸上局も従事ができます)の受験申請、研修終了後に受験となりました。 記述式試験の学科で今でも忘れない「ロランAとロランCの違いについて記せ」という問題1問が全く未回答でしたが、他の問題で点を取り、電気通信術では、送信の試験で原稿に黒いゴミが付いてたものを、思いっきり「区切り点」と読んでしまいましたが、他に減点も少なく、1回で合格しました。 電話級無線通信士と特殊無線技士(多重無線設備)の2つの資格で仕事上では航空局以外は従事することができたため業務用資格はそのまま何年も過ぎました。 アマチュア無線は続けていましたので第二級アマチュア無線技士は受け続け、電信級で毎日モールス電信での交信を行っていたため電気通信術は読み返す余裕もあり楽々合格、就職から3年後に記述式の学科も合格しました。(当時の記述式問題は難解でした) 当時は20歳代で頭も柔軟でしたので続けて和文モールスを憶え始め、平成元年4月、第一級アマチュア無線技士へトライ、1回目の受験では初の選択式試験導入で選択式と記述式の半々という試験でしたが、結果は電気通信術のみの科目合格、次の10月の全問選択式試験で合格をもらいました。 どうでも良い話しですが、免許の年月日、平成元年だけは「1年」ではなく「元年」と漢字表記ですのでこれを貰うのだというこだわりがありました。 |
1陸技の受験へ | とある出来事から無線技術士の資格が必要となり、第一級陸上無線技術士の受験を始めました。 しかし法規は今までの経験から楽々合格するも他の科目は「箸にも棒にもかからない」とはこのこと、何回受け手もだめな状況が続きました。 途中で航空特殊無線技士を受けてみようということになり、突然受験。受験会場で電気通信術に和文もあるということを知り少々慌てましたがこれは1回で合格しました。これでとりあえず陸、海、空の無線局に従事することができるようになりました。(しかし特殊無線技士には「電波の質に影響を及ぼさないものの操作」というのでつきまといますので肝心なところで支障が出ます) その後も一技の受験は続きますが5年経っても合格できずにいました、転勤で東京から離れましたので受験で東京へ行く電車賃も結構響きます。 |
2陸技へ変更 | 1技の受験が続いていた頃、同期入社の人と一杯飲んだ際に「2技ならすぐに受かるよ、2技を取れば一通り仕事もできるしその後に1技に行けばいい、自分は2技を取ったよ」という話。 では2技を受けてみるかと次の試験から2技に切り替えて受験を始めました。 確かに1技と比べて手応えがあり、快調に全4科目中、3科目に合格し、これは行けると思いきや残り1科目、何と基礎がずっと残り、あと1問で合格という時もありましたが、そんな中また転勤、引っ越しとなり、新任地で更に受験しますが不合格、そしてとうとう科目合格の有効期限3年目の崖っぷちの平成17年の夏の受験でようやく合格をもらいました。 これで今の通常の仕事上の無線設備ではほぼ支障なく技術操作、通信操作ができるようになりました。 無線従事者免許証番号には実は取得した年度をアルファベットで表す部分があるのですが、最初の電話級アマチュア無線技士と同じ文字が、丁度1周りしていました。あれから26年が経つのです。 |
まだまだ | 40歳を過ぎてようやく2技になりましたが、やはり1技にはなりたいものです。人間これで終わりとしてしまうと怠けて老化してしまうものですから生涯勉強。挑戦はまだまだ続きます。 まぁ無理をせず脳トレーニングといったところでしょうか。 |
資格補足 | 2技を取得すると、1技以外の他の資格の無線工学及び無線工学の基礎が免除になります。 また、2技でアマチュア局以外の無線局に3年以上従事し、業務経歴証明を得られると、1技の無線工学の基礎及び法規が免除になります。 |