ラジオ局ベリカード集

  昭和40年代から50年代にかけてBCL(Broadcasting Listener)が流行し、数多くのBCLラジオが発売されました。
 昭和51年頃から集めた中波ラジオ局の受信確認証(ベリフィケーションカード)通称「ベリカード」です。
 当時、SONYが「スカイセンサー」、松下が「クーガ」、東芝が「トライエックス」等という高性能のBCL用短波ラジオを販売していましたが、高価でなかなか買うことができませんでした。
 我が家には3バンドラジオ(MW.SW.FMというもの)付きラジカセ(昭和51年頃にPioneerから出たラジオ付きカセットテープレコーダのCMでウルフマン・ジャックが「ラジカセ」と宣伝したことからラジカセという言葉が普及しました。)がありましたのでそのラジオでずいぶんラジオを聴きました。
 現在のラジオはPLL方式のものが主流ですが、当時のラジオはバリコンを使用して同調を取るものが主流だったため、周波数表示目盛りも大雑把で信号強度が弱い放送を受信するのには同調ツマミをゆっくり動かす必要がありました。
 また、短波放送では周波数の安定度も悪く、長時間受信していると同調がずれ、微調整を行う必要がありました、「待ち受け受信」という言葉が凄い言葉でした。
 周波数表示は正確なものではありませんでしたので予め狙った局にセットしておくことはできません、放送が始まってから探すしかなかったのです。
 従って当時は本放送開始5分前位から音楽等でチューニングする時間を与えるIS(Interval Signal)を放送してくれていました。

 そんなラジオを使用して中波ラジオ放送をずいぶん聴きました。
 ラジオ局では、自局の電波がどのあたりまでどういった受信状態で聴かれているのかという情報収集を行う必要があり、受信報告書を送ってくれたリスナーには受信確認証を送ってくれ、現在でも発行してくれています。


北海道地方 関東地方 東海・北陸地方
近畿地方 中国・四国地方 九州地方
その他


  各地の中波放送を聴きましたが、夜は東京のニッポン放送をよく聴きました。
 中波帯の電波は昼間は電離層のD層で吸収されるため地上波のみの伝搬となり、千葉県木更津市から送信されるニッポン放送の電波は関東地方でしか受信することができません。
 しかし日没になり太陽光が無くなるとD層の電子密度が低くなり、電波がD層を反射するようになるため電波が地表に戻ってくるようになり、遠く兵庫県にも電波が届くようになります。
 電離層の状態は時間とともに変化し反射の状態も刻々と変化するため聴いている間にフェージングと呼ばれる突然スーッと聞こえなくなり、また元に戻るという現象が発生します。
 クイズの応募方法等の肝心なところでよく聞こえなくなったものです。

 そんな中、フェージングとともにニッポン放送の電波を押しのけて聞こえてくる日本語の放送があることに気が付き、その放送がよく受信できるように調整してみました。ニッポン放送(当時1240KHz)から10KHz離れた1250KHzです。
 実に強力な電波で流暢な日本語の放送を暫く受信しているとモスクワ放送の日本語放送と判りました。
 遠くモスクワからこんなに強力な電波が届くのかと当時は驚きましたが後に実は極東中継をしていたということが判明、それにしても強力でした。

 それから短波の海外の日本語放送を聴くようになりましたが、BCLは短波や中波放送に限ったものではありません。
 FM放送やテレビ放送もベリカードを発行してくれています。
 FM放送は、家から遠い地域の放送は聴くことができません。
 大型のアンテナを設置するのも手ですが、私はラジカセを持って600m級の山に登りました。
 するとロッドアンテナでもFM大阪は当然、遠くFM愛知も受信することができました。(当時は各県1局ではなく、民間FM放送局は東京、愛知、大阪、福岡の4局しかありませんでした。)
 この遠くのVHF帯の電波を受信するのもBCLの楽しみです。

 FM放送のBCLは、高所への移動もありますが、旅行先へラジオを持って行って聴き、受信報告書を出すという楽しみもありました。
 ベリカード集にある、FM東京は修学旅行で受信しました。

 そういったことがあり、受信報告書用紙や電子部品を買うのに出入りしていた電気屋さんにある日、「電波は聞くのもいいけど自分で出してみないと」と言われたことから、短波の電波を自分で出してみたいという気になり、無線従事者免許の取得、移動運用等と今日につがっています。




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