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二級ボイラー技士合格記 |
始まり | 昭和54年に高校に入学してから、すぐに就職に向けて各種の資格試験や検定試験の案内を受けました。 しかし、15歳ではまだ知識を広げようとか、更に学校以外の勉強をしようという気がなく、とりあえず受けてみるかという程度でした。 趣味の電話級アマチュア無線技士は10月に受験し、合格、それは興味があったからでした。 2年生になると、少しその気になり、模索を始め、7月の丙種危険物取扱者の受験申請を行い、続いて二級ボイラー技士の受験資格を得るための実技講習の申し込みを行いました。(平成24年4月1日から受験資格はなくなり、免許証の申請の際に実技講習の終了が必要になりました。) 日程が決まって愕然。 ボイラー実技講習の3日間の日程と危険物取扱者の受験日が重なっていました。 受講料が高いボイラー講習を優先することにし、会場が鳥取市で泊まりがけになるため、同級生と宿の手配等の準備を行いましたら、7月だというのに前日になって38度の高熱を発し、ボイラー講習は棄権。 翌日は熱が下がったため、急遽次の日の丙種危険物取扱者が受験でき、一夜漬けでしたが合格をもらいました。 夏休みの期間中でのボイラー実技講習は鳥取県でしかなく、翌年までお預け。 |
仕切り直し | 3年生になり、昨年のリベンジと思い、担任の先生を通じて再度申し込み、同級生は昨年に受けてしまいましたので、その年は私一人だけの参加で、更に会場は鳥取市ではなく、更に遠い米子市でした。 更に日程は中途半端な金、土、月曜日 遠いのと3泊4日の一人旅ですが、高校3年生ということで、担任も承諾。 宿は当時の若者に流行していた米子のユースホステルにしました。 講習会の始時間も早いため、交通手段は初めての夜行寝台列車、そして初めてのユースホステルでの宿泊と結構冒険でした。 |
講習受講 | 病院を借りた米子の会場に到着し、第一日目の講義を受け、夕方にバスでユースホステルへ。 ユースホステルは、気ままな旅行者が一夜の宿として利用することが多く、3泊もする客は珍しいため、経営者もこいつは何者だという構えでした。 夕食を食べながら事情を話すと、高校生で遠くから大変だねと親切にしてくれました。 ご存じの方も多いと思いますが、ユースホステルは、数人一部屋の大部屋が多く、他の宿泊者と色々な話をします。 一日目に一緒になったのは一人旅の大学生。そのまま就寝して翌朝は2日目の講義に向かいました。 2日目の講義も終了してユースホステルに戻ると、横浜から徒歩できたという違う一人旅の大学生と会社員、そして陽気なドイツ人がご一緒になりました。 夜は4人で花火をしながら、なぜか英会話の勉強。 ワイワイやりながら就寝しました。 次の日は日曜日で講義は休み。 一日何をやって過ごすかと思っていましたら、昨夜一緒だった大学生が一緒に観光に行こうと言ってくれましたので、2人で米子観光し、資格取得にきたなど自分のことを話していると、「俺も復学して何かやるよ」と徒歩の旅を止めて電車で横浜へ戻っていきました。 3日目、午前中に講義を受けた後、終了試験。 無事に終わって修了証書を頂いて帰りました。 |
受験 | 終了証書の写しを添付して受験申請。 ボイラー技士の試験は、毎月2回程度実施しており、自分の受けたい日を希望することができます。 しかし、近畿の試験センターは県庁所在地ではなく、加古川市のローカル線で行き、更にバスに乗る少し辺鄙な場所です。(全国的に県庁所在地から離れた場所のようです。) 同級生3人と早朝の列車に乗り受験に行きましたが、当時の心構えでは結果は不合格。 その後卒業までに更に2回受験しましたが、結局不合格でした。 そして卒業、進学で東京へ引っ越し、とりあえず東京のボイラー協会を訪ねて申請書をもらい、試験会場を確認しましたら、関東地方は千葉県市原市のこれまた不便な場所で、土地勘もない私は断念しました。 試験会場の場所がネックになったまま就職、千葉県に赴任したものの、平日に休みづらくそのままボイラー技士の受験は忘れました。 |
再開 | 時代は昭和から平成に変わり、結婚、引っ越し、転勤で忙しく過ごし、他の資格試験は受けていたものの、ボイラー技士は試験会場の場所が引っかかったまま受けませんでした。(なんと山梨県からも千葉へ行かなければなりません) そんなことで年月は流れた平成17年、職場の人から、ボイラー技士は年に1回、出張試験をやっていたと思うよと言われ、居住地の埼玉のボイラー協会へ問い合わせましたら、確かに年1回行っていて、今年はもう終わってしまったとのこと。 忘れないようにしなければと思いつつ、ついつい忘れて更に数年が経過した平成22年、東京での仕事の合間にボイラー協会へ立ち寄り、修了証書の有効性の確認と写し証明をもらいましたら、終了証書は古くても有効で、写し証明をくれましたが、昭和57という古さに「すごいですね」の言葉、その裏側には「まだ受かっていなかったのか」があったのでしょう。 そして他の資格試験に終われつつ更に年月は流れ平成24年、思い切って埼玉での出張試験の受験申請を行いました。 実に30年ぶりのボイラー技士の受験、新たな気持ちで問題集を購入して一からやり直し。 法令も変わっているのでしょうが、その違いも分からないほど新鮮な気持ちです。 会場は工事担任者の試験で通い慣れた埼玉大学。 いつものようにバスは混んでいましたので歩いて開場まで行きました。 結果は不合格、しかし合格点までにあと少しだということがわかりましたので、少しいい気持ち。 そしてまた転勤となりました。 |
新たな地で | 平成25年、奈良県に引っ越しし、新たな気持ちで近畿の試験会場を調べましたら、昔と変わらない加古川のセンターの他、10月に大阪、12月に奈良での出張試験が行われることがわかりましたので準備に入り、大阪の出張試験の受験申請を行いました。 昨年、街の書店で購入した既出問題集を、最初から昼休みと就寝前に1日1ページのペースでやり直し、燃料の燃焼の部分は危険物取扱者で慣れたところのため軽く流し、終盤は法令に徹して試験日に向かいますが、結局は最後まで終わりませんでした。 10月19日 試験会場の関西大学天六キャンパスへ行きました。 今時は便利なもので、初めて行く土地でしたが、インターネットで地図検索し、迷わずに行く事ができます。 教室に入り、時間もありましたので、最終のあがき、でもこのラスト10分に救われることが多いものです。 それにしても他の試験と違い、受験者の体質が違い、周りは勉強しているにも関わらず、平気で携帯で通話する者、試験が始まってもペットボトル飲料を机に置いて、飲みながら受ける者が見られ、呆れました。 こういう非常識なやつは資格を取ったとしてもろくな仕事ができないのです。 問題集で見た問題が3割程度と感じつつも、いつものことながら、準備不足で、これ以上考えても無駄だと、開始から70分で退室しました。 11月1日、協会のサイトに合格者の発表があり、昨年は、1級に同一番号があり、ぬか喜びしてしまいましたので、今回は念入りに見ると、私の受験番号があり、数日後に合格通知が届きました。 免許証の申請には、合格通知の現本の提出が必要ですので、合格通知をしみじみ眺める間もなく、申請書と実技講習の終了証と共に封筒に入れて東京労働局へ送りました。 30数年間手元に置いた実技講習の終了証を手放して、免許証を手にし、危険物取扱者と合わせて、燃料の貯蔵、燃焼ができるようになりました。 |
補足 | 1級ボイラー技士は、以前は受験資格として2級ボイラー技士で2年以上の実務経験が必要でしたが、現在は受験資格はなくなり、免許申請の際に実務経験の証明が必要になりました。 合格から免許申請までの期限はありませんので、試験に合格しておいて、後に実務経験が付いた段階で免許申請を行えばOKです。 |