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航空無線通信士受験記 |
始まり | 平成6年に、職場の同僚から、航空特殊無線技士を受けてみないかと誘われ、問題集を借りて受けに行きました。 幸い、一回で合格し、陸上、海上、航空それぞれの局種での仕事ではそれで事が足りるようになり、平成13年には初めて航空移動局、航空機局の定期検査にも立ち会いました。 その後第二級陸上無線技術士の受験を続けていたのと、航空局には直接関わりませんでしたので、そのままになっていました。 陸上無線技術士は一級まで取得することができましたので、次ぎはどうするかと考え、航空だけ特殊無線技士であることの凝りを取ることにしました。 幸い、長年の凝りだった二級ボイラー技士も合格することができましたので、いい機会になりました。 |
準備 | 平成25年11月、情報通信振興会に今年の問題集を発注し、準備を開始しました。 航空特殊無線技士で電気通信術、第一級陸上無線技術士で無線工学が免除になりますので、法規と英語の2科目のみの受験、法規は後回しにして英語に集中します。 問題集で既出問題を解いてみますが、法規は80点が取れるものの、英語は厳しい点数。 無線工学とは違い、理論や公式を憶えれば良いというものではなく、単語を知らないのは致命的、しかしこればかりは仕方がありません。 既出問題の出題傾向は、法規と無線工学についてはあるものの、英語についてはありません。 しかし、既出問題をやるしかありませんので、文法は分かっていることとして、中学校に戻った気持ちで単語を覚えることにしました。 12月1日、受験申請の受付が始まりましたので、インターネットで申請を行いました。 サクッと申請が終わり、受験料の振り込み番号をメモし、散歩がてら出かけた際に、ふと郵便局に立ち寄ると、日曜日でもATMで振込ができることが判りましたので、そのまま振り込みました。 これで受験の手続きは完了。 帰りにコンビニに寄ってノートを一冊買いましたので、これで英単語を覚えることにします。 1月22日、いよいよ受験票が到着。 毎度毎度そうなのですが、受験票が届くとやる気が出ます、もっと前からやればいいのですが、どうにも気が乗りません。 職場で昼休みに少しずつやります。 法規も航空に特化し、国際電気通信条約も出てきますので、油断できないと思い、一通りこなしました。 英語は、試験の形式が分からないため、リサーチすると、音響で流される英語の問いについて、問題用紙に書かれた回答群から選択する英会話と、長文読解の後、問いに答える筆記、日本語の文章を英訳する穴埋め問題の筆記だと判りましたが、今更ジタバタしてもしょうがないと思いました。 2月に入ると送別会がたてこみ、何と受験前日にも避けられない送別会が入ってしまいました。 |
初受験 | 2月22日、いよいよ本番てす。 前日の酒が残る中、会場の関西テレビ電気専門学校に向かいます。 近畿での受験は高校生以来32年ぶり、当時は列車で3時間かけて大阪へ行き、乗り換えて天満駅から歩きましたが、今回は近鉄、地下鉄を乗り継いで扇町まで所要50分でした。 会場の建物は昔と変わっておらず、懐かしく見上げて会場入りしました。 午前中の法規はあまり迷うことなく回答したものの、昨夜の酒の影響でトイレが近く、退室可能時間になってすぐに退室しました。 昼食を挟んで午後は英語。 試験は英会話からやり筆記に続きます。 ラジカセから3回流れる英語の問いについて、1分間の回答時間で問題用紙に書かれた回答群から選択してマークするものが7問。 筆記は長英文読解で、続く英語の設問について回答群から選択するものと、日本語文を英訳した文章の穴埋めでした。 午後も途中でトイレに行きたくなり、退室可能時間ですぐに退室(退散)しました。 |
自己採点 | 今までの無線技術士の受験では、試験から一週間後位に協会からインターネットで問題と解答が公開されるのですが、25日試しにと覗いてみましたら、試験から3目で公開されていました。 驚きつつ持ち帰った問題で自己採点してみました。 法規 100点満点で合格ラインが70点以上のところ、86点でOK 英語 105点満点で、合格ラインが60点以上で但し、英会話が35点満点のところ15点以上取れていないとNGというところ、 英会話20点で第一段階はクリア。 続く筆記は長文読解が悲惨なもので、英訳と併せて25点で合計45点という低さてした。 |
結果通知 | 3月12日にネット上で合格者の受験番号が発表されましたが、私の受験番号はありませんでした。 翌日に結果通知書が届き、自己採点どおりの法規の科目合格でした。 次回は英語のみの一点勝負です。 |
リベンジ 取り下げ | 8月期の受験申請が始まりましたので、早々に電子申請を行いました。 半年前から変わったことは、消費税率の引き上げで郵便代が2円上がり、申請料が9052円になったこと。 数日して冷や汗。 仕事で出張する予定と見事に重なりました。 以前にも同じことがあり、取り下げができたと思い出し、駄目で元々と協会に相談しましたら、申請期間中でしたので、取り下げをしてもらえ、手数料を減じた額の申請料が戻ってきました。 気を取り直して、2月に延ばします。 |
2度目の受験 | 平成27年2月21日 一年ぶりの受験でした。 大阪の同じ会場で電話級アマチュア無線技士の免許を取ってから35年の年でしたので、当時を思い出してJR天満駅から歩いてみました。 当時、兵庫県北部から2アマを受けようとすると、午前9時集合でしたが、丁度良い列車がないため夜中2時の夜行列車で行くこととなり、午前5時に大阪駅、天満には5時過ぎに着くのですが、当時は24時間営業のファストフードやコンピに等は無い時代でしたので、試験場近くの扇町公園のベンチで時間をつぶすしかありませんでした。 その思い出の扇町公園に行ってみましたら、プールもずいぶん様相が変わり、綺麗な公園になっていて驚きました。 試験は13:30から、2度目の受験でしたので勝手も分かっていて落ち着いて受験することができました。 ヒアリングの後、筆記の試験に移りますが、長文和訳はどんなストーリーなのかが気になるところ。 航空に関する話の時と関係無い話の時があるのですが、今回は時差呆けを解消する方法とスマホアプリ、それを検証する医師の話と読み取りました。 とりあえずそれらしい回答をマークして時間ギリギリまで粘りましたが、どうなりますことか。 翌週早々に正解が公開されましたので自己採点してみましたら、散々なもの。 前回はヒアリングは合格点に達していたものが、今回はヒアリングもダメという状態のようです。 |
2度目の結果 | 3月13日に結果通知が届きましたが結果は自己採点どおりの不合格。 ちょっと勉強の方法を変えなければならないと自覚しましたので、半年後に向けて再始動します。 |
3度目の受験 | 平成27年8月6日に3回目の受験に行ってきました。 夏の大阪会場は始めてですが、暑いため、早めに会場に入り、指定席に着席しました。 もう何をやるというものではありませんので、落ち着いて開始時刻を待ちスタート。 どうも私は他の電気通信術でも後ろの席になることが多いのですが、今回も後ろから4番目。 英会話は聞き取れる音量でしたのでOKを出して試験がスタートしました。 英会話は今回はやけに発音が良い方での出題で怯みつつ5問が終了。 続いて筆記に入りましたが、第一問で妙に悩み、長文問題が終わったところで途中退室が許される時間になっていましたのでちょっと慌てて次の問題へ、そこで更に終了時刻を勘違い。 最後の問題に解答したところで問題用紙に1時間30分と書かれているのを見てあと1分と思いましたら、英会話の15分を含まず、あと15分あることが判ったものの、それからじっくり見直す余裕もなく終了しました。 |
自己採点 | 8月10日 協会のWEBサイトで正解答が公開されましたので自己採点しました。 先ずは英会話で35点中15点以上を取らなければ後の問題ができていても不合格になりますが、20点でどうにかクリア。 気をよくして英長文読解以後の解答をチェックすると、散々な結果で合計35点と合格点の60点には届かない様子です。 また2月に向けて精進が必要のようです。 |
くじけず受験 | 平成28年2月20日 再度受験してきました。 会場には余裕を持って到着しましたが、もうやることもありませんので、時間までゆっくり過ごしました。 もうすっかり慣れた試験でリラックスして挑みましたら、いつもより理解度が高くなっているのを感じました。 時間いっぱいまで粘って退室しました。 |
自己採点 | 2月23日 協会のサイトに正解答が公開されました。 先ずは第一関門の英会話ですが、4問正解で第一関門は通過。 続いていつも手こずる長文読解ですが、1問を間違えただけでいい感じかと思いきや、以後の実務関係を単文で問われる問題が全滅。 最後の和英訳はいつもより正解しているものの、半分程度の正解率で合計50点で合格には10点足りないようです。 そうは言っても過去最高点が取れそうですので、次回に期待します。 |